2012年5月25日 Comment 1 Thinking Edible Wild Greens : 山菜というものを考えた 先週週末から今週アタマにかけて、長野県車山高原、松本市、群馬県高崎市に行ってきた。 高崎市は僕の実家だけれど、三カ所とも泊まるところを提供して頂いて、ヨガのビデオの撮影をしたり、車山近辺の森の中を歩き回ったり、採った山菜を料理したり、ガーデニングをしたりと充実した旅行だった。 今シーズンは、偶然グレープフルーツの木を川沿いに見つけて採って食べたりしたこともあって、採集して食べるという事に特に興味があった。今回の旅行では、たらの芽とワラビを採集できた。 山菜というと僕の中では中高年が夢中になって朝早くから山林に通っているというイメージだけど、実は農業よりもさらに原始的な、「採集」という時代の食生活を体験する事なんだと思う。自然環境は今となっては有限で弱く、僕らが守るべきものというイメージがあるけど、採集の時代は身の回りは全て自然で、実りの豊かなところにいれば無限の恵みに抱かれるように生活できたのだろうと思う。人は季節の寒暖に合わせて生活のしやすいところに移動していたかもしれない。草木は本来、動物から身を守るために苦みやアクを持っていて、人はなるべくそういったものの少ない植物を採集していた。 しかしアクの少ない食べ物を好んで食べてはいたけれど、アクは体に悪いだけのものという訳ではなくて、いい面もあったのではないか。そのうち野菜を育てるようになって、もちろん、苦みやアク、くせの少ない野菜をどんどん改良して今に至るけれども、アクや苦みを摂らなくなった弊害もあるのではないか。理屈には弱くて、うまく理屈をつけられないけど、そう最近考える事が多い。 最近、野口種苗という、古くからある伝統野菜の種を扱うお店で買った種で野菜を育てて食べたけれども、今一般に売っている野菜よりも味が濃いように思う。トマトも今育てているけれど、よく昔のトマトは青臭かったという話を聞く。その味の濃い食べ物の最たるものが、山菜だと思う。油で揚げてしまうと薄れるけれど、どれも強烈な個性があるのはたしかだ。それを、美味しいというか不味いというかはやっぱり別れると思うけれど、鹿や、猿、クマなどの野生動物はいまでもそんな濃厚な味のする山菜を主に食べて暮らしているのだ。 山を歩いて木の新芽を食べたりしながら、そんな事を考えた。 photo: aipon edoble.com友人 JESSの東京無料食材ウェブサイト 追記:高崎では車山に続き今度は栽培したルバーブを収穫してジャムを作った。これは最高に美味しい。いまは3株だけだがもうちょっと増やそう。 そして去年の落花生を今年の種としてとっておいたのだが多すぎるためピーナッツバターを作った。バターにはならず、パウダーになっただけだったけれど、ピーナッツって美味しいものだと、再認識した。今年は穫れたてで作らねば。