2007年11月8日 Comment 0 自分が誰なのか主張したいですか 友人にあなたのことを、「この人はこういう人」って紹介されるのは許せるでしょうか。 「こいつは典型的な関西人」とか、例えば「彼はカフェやってるんだ」とか。 そういうときに、「いや、関西人って言っても自分は普通の関西人じゃない」って 憤慨するタチでしょうか。「カフェじゃない、カフェのようでいて全く新しい空間だ!」とか。 なんか、新しい人と会うときって、なにか理解しやすいカテゴリーとかタグは便利。 古い言葉では「レッテルを貼る」っていうのかな。 この人は遊び人とか、レゲエ好きとかソニーに勤めてるとか。 でも紹介される人にとっては、自分は自分。完全オリジナルで どんなカテゴリーにも属さず完全に自由なんだって思うと思う。 だから、決して一人の人を一言でなんか説明できない。 結局、こうゆう紹介のされ方が許せるかどうかなんだけど、 自分をだれかに説明されたくない人も多いみたい。 親とそれで絶縁したという人もいました。(ホントか) 自意識が肥大していってるというのか、 アイデンティティーを主張する時代になったというのか。 僕なんかは、「へえーこの人僕のことこういう風に思ってたんだー」とか。 違うけどなあと思っても、結局わかってもらおうなんて期待してないから、 「ああカメラマンねー」なんて、そのカテゴリーで親しみを持ってもらえそう ならそれでいいと思う。 それでスタートして、徐々にわかってもらえるだろうし。 主張弱すぎかな。