2006年1月24日 Comment 0 雑談 ある劇団のイベントを編集している。 編集を始めるまで内容はよく知らなかったが、そのイベントは 一般市民が4日間稽古して大きな劇場で芝居を上演しようというもの。 初日、参加者を集めて主催者の演出家が始めたことは、一人一人にマイク を渡して、なにか喋れ、ということ。 ただし、自分のこと(自己紹介など)を言ってはならない、今見ていること を言ってはならない、前もって言うことを決めてはいけない、などなど ルールがある。知らないたくさんの人を目の前にして、最初はみんな戸惑って 何を言っていいか分からない。最初の人は「蛇口」、次「ボンソワ」、その次「アメリカンドリーム」。 マイクを握って考え込む人もいる。すらすらとその日あったことを言う人もいる。 あらかじめ考えてあったことを言うと、「何か全然違うこと言って」。 演出家が「「いいね」という時もあるし、「それはだめ」という時もある。 かわいい女の子が「玉ねぎ臭い」というと、「続けて」と演出家。 「カレーを作ったときの左手が、玉ねぎ臭い」。 みんなが注目している中での、発言。 突拍子もない言葉で始まると、「え?どういうこと?」と、確かに興味をそそられる。 同じような発言を二人続けてもつまらないので、前の人をどこかで意識した喋りになる。 とっさに喋ることって、確かに出し抜けだ。 あらゆる演劇、小説に通じることだと思うけど、 最初から、「このお話は何世紀の、どこそこで起こったお話で、登場人物は誰と誰で・・・」 と説明しちゃっている、いわば初対面の人同士の会話のような始まりは面白くもなんともない。 「私は関西出身で、何歳で、仕事はなにをやっています、ここにいるのはこれこれこういう事情だからです。」 と説明してしまうのは、初めからこちらの想像力を萎ませてしまう。 たとえば、「雪が降っていたんですよ」とはじめる。でも先のことまで計算して考えていないものだから、 次は、「実はうちの娘が・・・」と続けたりする。そうすると、きいている人は、「どこか雪国の話かな」とか、 「ああ、父親なのか。娘さん、どうしちゃったのかな?」とあれこれ想像できる。 要するに、なにか意味深なことを無責任に言えばいいわけ。でも一言ならいいけど、そのひとが 同じ調子で話し続けていてもつまらない。じつは裏表のある人だったりするのが楽しい。 まあ、このイベントのことを全部説明するのは無理だけど、 すらすら喋れちゃう人より、なにを言うか迷って、汗が出てきちゃったりして、それでとっさに出た言葉の方が 引力がある。即興。これはなるほどテレビでは伝わりづらいかもしれない。 演劇人とあまりお付き合いしたことはないけれど、普段からそんなこと考えて生活しているのかな。 ここまで見て僕はやっぱりケビンを思い出した。前にも書いた、どうしようもない、分裂症ぎみの アメリカ人なんだけど、昔同じところに住んでいて、リビングで即興の作曲をしたことがあった。 ケビンがメロディーをてきとうにギターで弾いて僕が思いついた言葉を言ってケビンがメロディーに あわせて歌うというもの。あれは楽しかったけど、困っちゃった。「grey sky」だとか「duck」とか、 この演劇の参加者の始まりと同じように単語しか出てこなかった。メロディーは進んでいくんだから、 早く言わなくちゃいけない。何か言うと、ケビンはそれからちょっと膨らませて歌詞にする。 英語で言うんだから、結構高度なことしようとしてたなあ、と思うし、当時そこから なにを学ぶこともなく、そんなことがあったことも忘れていて、僕は全然駄目だと思ってしまった。 だけど、あれって、二人でやってたけど、観客がいないとまったく意味がなかったんだなあ。 しかしケビン、今どこにいるのかなあ。