2006年10月1日 Comment 0 ドクターピエロ -ブラジル映画祭2006 去年に引きつづき、ブラジル映画祭へ行ってきました。(去年のレポート) 1週間にわたり、20近くの作品を上映するため、情報量の少ない なか、良い映画を選ぶのは至難の業でした。結局、勘だけで選びましたが・・・。 去年もドキュメンタリーを見たのですが、今年もまたドキュメンタリーを 1つ選んでみました。これが、また当たり!で、相当に良い作品でした。 ブラジルで活動をしている、「Doutores da Alegria (喜びのドクター)」という赤鼻をつけて、 白衣を身にまとう、ピエロのドクターチーム。 ドクターといっても実際医療を行うわけではないが、闘病中の、子供達を励ます、 ある種、心の治療をするドクターだ。 彼らの子供達との接し方は独特で、子供と一緒に遊び、ともに遊ぶ喜びや想像力を 共有するというもの。 時に、ICUに入り目さえもあくことができない子供もいる。ガラスごしに、うたう歌はとてもやさしく、 そして美しい。 彼らは必ず、病児の部屋にはいるときには、「入っていいかな?」と子供に聞く。 いつもは、いつ薬を飲んで、食事をしてと看護婦さんやお医者さんの言うことを 聞かなければならない子供達。ピエロにだけは、NOと言える。 子供はピエロと対等になって、一緒に遊べる仲間になる。 感心したのは、ドクターピエロは常に子供の表情や具合を瞬時に判断して、 即興で演じるところ。 子供の足が布団の中で動いているのをみて、「何か中に動物がいるよ。つかまえて!」 なんて言って遊ぶのだ。 病棟でのピエロや子供達のシーンに交えて、ピエロたちのインタビューが挿入される。 仲良くなった子供の死に直面する話だったり、ほほえましい子供とのやりとりの話だったり、 なぜドクターピエロに扮するかといった話、芸術のあり方にわたる。 どれも印象的で興味深い話だったが、ピエロに扮することで、創造力の中で自由になれるという 話が印象的だった。ピエロを演じる彼ら自身も社会の中だったり、自分の能力の限界で、 なんらかの柵がある。しかしピエロになることで自分ではなくなり、一人のピエロになる。 そこでは一切シャイになる必要なんてないし、普段言えないこと、たくさんの疑問を投げかかけたりする。 観る前は病院を舞台にするとよくありがちな、”病気と闘う子供たちと医者”的ないかにも、 慈悲を誘って、同情したかの感情を与えるドキュメンタリーかと心配したが、それとは 比べ物にならない良い作品だった。 私も映像に携わる人間として、「ドキュメンタリーとは?」ということを考えているのだが、 監督が創造したストーリーの通りに進む本当の話ではあるが、薄っぺらな ものは良いドキュメンタリーではないと思っている。確かに涙をさそったり、 社会の問題について、しらしめられることはある。しかし、その作品のテーマとどう向き合うかという ところまで考えさせる作品は少ない。自分は自分、ドキュメンタリーの世界は別なのだ。 この作品は少なからず、私自身に、今後の人間関係の築き方や、社会との関わり方に 影響を与えるであろうし、少なくとも作品を見終わった後になんども、 インタビューの言葉を思い返して自分の中で解釈しようとしている。 いや~、また機会があれば是非見たいですね。 作品概要 2004年 96分 ドキュメンタリー 監督:マーラ・モウラン 出演:ウェリングトン・ノゲイラ、“喜びのドクター”